1/01/2016

一年の計 2016

一年の計は元旦にあり、ということで平成28(2016)年をどう生きるか考えた。

まずは例によって昨年の振り返りから。
一年の計 2015

1. 何はともあれ仙台ハーフ完走!
これは見事達成できました。
余裕は全然なかったけど、完走が目標だったから問題なし! 2014年の無念の途中失格の呪縛から解き放たれた。良かった!

2. 仕事をマネジメントする
この目標を立てた時は職場でマネジメントする立場になかったが、4月に昇任して2人の部下を持つことになった。しかし、それまでは4人の係だったのに3人に減り、監督職としての仕事に加え、実務もこれまでどおり行うということで負担は大きく増えた。
そんな言い訳を先に言ってしまうくらいだから、当然これは達成できていない。むしろ、これまでよりもマネジメント下手になった気さえする。
それは、部下のひとりが年上ということも影響するが、その影響を受けるのも、影響させているのも自分の実力不足。これは大いに反省しなければならない。

3. 楽しむ!
これも微妙だなー。
モノ的にも、ジテ通の友、TREK 7.5FXのディレイラーの調子がイマイチだし、旧車の愛車ビートもシフトフィールがイマイチ(←どちらも変速機関連だな)。仙台ハーフは完走できたけど膝は相変わらず痛いし、腰痛も良かったり悪かったり。酒を楽しむ機会もぐっと減ってきて、昨年11月からは眠れない日々が続いてたり。窮地をも楽しむ心の余裕が無くなってた気がする。これは一番いかんね。

ということで、しっかり振り返りをした上で、一年の計 2016。

今年は、仕事をちゃんとする一年にしよう。

何か当たり前のことだし、漠然としていて目標に相応しくないとか言われそうだけど、年始の挨拶でも書いたように、去年は仕事が全部中途半端になってしまってた気がする。それは、量的な問題があったことは否定しないけど、それよりもむしろやる気の問題。場の雰囲気に流されていなかったか、あるいは逃げ出していなかったか、自分が背負っている責務がどれほどの重さなのか考えていたか、本当に信頼されるに足る努力をしていたのか。

忘れられない言葉がある。
その言葉は、達筆で紙に書かれ、しかし泥だらけになっていた。

震災直後の平成23(2011)年4月2日(土)、初めての災害ボランティアで訪れた石巻市の渡波中学校で、私はその言葉と出会った。

誰にでもできるようなことを
誰にもできないくらいやるのが
修業

そう書かれた紙が、教室の床に何センチも積み重なったヘドロの中に落ちているのを私は見つけた。
何とも言えない気持ちだった。
未曾有の災害に遭ってもまだ修行(紙に書かれていたのは「修業」)を続けなければならないのか、という怒りや諦めを感じたのと同時に、一方で、努力する人間の前に乗り越えられない壁は無いという確信、希望の光を見た気がした。
この時のブログ記事

私もまだまだ修行(修業)が足りない。
もっとできる。まだできる。
責任のあるポジションにいる限りは、やらなければならない。
そして、そのポジションにいつまでもいれる訳じゃない。
だから、そのポジションにいる限りは、自分の責務をきちんと果たそう。

そんなことを考えつつ、今年は仕事をちゃんとする一年にしよう、と考えた。
頑張ろ…

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